いつかはお空に帰る愛しいしっぽ達の姿を写真で残す意味

 

以前にも書いたような記憶があるのですが…。生きている限り、必ずその命は終わりを迎えます。人も、小さなしっぽ達も例外はゼロ。

 

 

だからこそ、一緒に過ごす「今、この時」を大切にしたいなぁと思うし、彼らが与えてくれる無償の愛情と信頼と共に過ごす日常を「目に見える形(写真)」で残して欲しい。残すお手伝いがしたい。そんな想いでスタートしたわんにゃんフォトです。

 

 

わんにゃんフォトを初めて3年半が経ち、飼い主さんから「お空に帰っていきました」というお報せを頂くことも増えてきました。そんなお知らせと共に「あの時、中村さんに撮っておいてもらって、本当によかった」という言葉を頂きます。

 

 

昨日も、昨年6月に15歳のお誕生日の少し前に撮らせて頂いた拓君のママ、キヨピーさんから『拓、今日午後3時33分に息を引き取りました。 直美さんにお写真を撮って頂けて本当に良かったです。 ありがとうございました。』とメッセージが…届きました。

 

 

拓くん、よく頑張ったね。お疲れ様。虹の橋で、走りまわってね。

ペット撮影の「写真が教えてくれる」こと

全然見えていなかった表情に気づく

 

いつも目の前にあるのに気づけない表情は、意外と多い。他人(=私)だからこそ気づける仕草も何気にある。(私に「カメラアイ」が養われているのも大きいのですが。)

 

プラス、飼い主さんが彼と相対するときのアングルでは絶対に見ることのできない場所で撮るのもあるかな。データをお見せすると、『この子、こんな顔で私をみているんですね…。」という言葉を、ほぼ、毎回お聞きします。

 

 

「僕も食べたいなぁ…」とガン見中wの拓くん

 

 

全く気づかなかった動きに驚く

 

人の目の動きは、動物の素早い動きに追いつけません。これは、カメラで連写をするからこそ。わんこ達が走ったり飛ぶ姿は、人の目だと、一瞬しかとらえられないですよね。

 

楽しそうに笑っているのを見て「こんなに幸せそうな顔してるんですね。」とか、ちょっと不思議or面白い表情を見ると「初めて見ました~」と喜ばれたり。

 

 

&彼らが飼い主さんに向ける「愛情と信頼」を、初めて静止画像(つまり写真)で見て、涙を浮かべる飼い主さんも、本当に多いです。無垢で無邪気な表情をした相手は(人も動物も)人の心をうちます。飼い主なら、なおさら。

 

 

日常のひとコマを残すことは、一緒に生きた証を残すこと

 

毎日毎日、目にするしっぽの姿。お散歩するときの後ろ姿や、キッチンの決められた場所でご飯を食べる横顔、眠くなるとソファにあがって、寝てたよね…。そんな何気ないひとコマを残すことで、一緒に暮らした確かな記憶がよみがえってくる。

 

 

写真は、タイムマシンです。過去の幸せな記憶は、今の自分まで幸せな気持ちにしてくれる。たとえ、彼らがお空にかえってしまっても「一緒に暮らせて、本当に幸せだったね。」「いつか、また会えるから待っててね。」そんな風に思えるコトは、とても大事だと考えます。

 

 

深い深い悲しみと喪失感、いろいろな想いで溺れそうになるかもしれない。「もっと、何かしてあげられたんじゃないか?」「あの時、こうしていたら…」と、私もだけど、飼い主さんは愛が深いほどに、自分を責めがちだし、後悔も大きい。

 

 

でも、自分を責めたり、後悔したり、泣き続けることを、彼らは望むでしょうか?大好きな飼い主さんには、いつも笑っていてほしいし、幸せでいて欲しい。いつもと同じように、笑顔でいて欲しい。そう願っているはずです。

 

 

泣いて泣いて、悲しんで、その気持ちを受入れていく。その過程で自分を支えてくれる「共に過ごした幸せな記憶」。

 

 

その記憶を形に残すことの意味を、お空に帰ったというお知らせを頂くたびに考えます。

 

 

 

 

元保護わんで、大変なこともたくさんあった拓ちゃん。でも、深い深い愛情と絆で繋がったキヨピ―さんご家族と、たくさんの幸せな時間を過ごすことが出来て、本当に幸せな犬生だったね。拓ちゃんの想いが、写真を通じて少しでもキヨピ―さんご家族に伝わりますように。心からそう願っています。